研究をめぐる随想

研究のヒント

研究はエンターテイメントである

 「おもしろくなければ研究ではない」というのが私の基本的な考えです。相手が専門家の場合はもちろん、まったくの素人であっても、知的好奇心の強い人なら「あなたの研究していることっておもしろそうね」と言ってもらえるように研究を組み立てる必要があると思います。

 もちろん、みんながみんな、あなたの研究をおもしろいとおもってくれるわけではないでしょう。人には個性や興味の違いがあるからです。しかし、少なくとも執筆者自身は自分の研究を「おもしろい」と思っていることが大切です。

 多少の自己満足が混じっていてもよいと思います。自分がおもしろくない研究が他人におもしろいはずがありません。自分の頭で考えて発見した思いつきを人に伝えたくなる気持ちが芽生えて初めて研究はスタートするのです。

研究は自分自身をみがくためにある

 大学院に進学するということは、研究をして修士論文を書くという目的だけでなく、修士論文を書くことで学位を得るという目的もあります。

 「私は日本語教師になりたい。でも、経験のない者が日本語教師になるためには、大学はもちろん、民間の日本語学校であっても日本語教育関係の修士号は最低必要だと言われた。だから、研究は嫌いだけど、学位をとるためと割り切って大学院に来た」という人がいます。

 しかし、それはたいへん残念なことです。研究は、自分が今やっている活動を対象化し、メタ的な視点から冷静に眺めることができるようになるからです。

 教えるのが好きな人は、自分が教えるということを対象化して研究すれば(いわゆる「アクション・リサーチ」)、教育技術が確実に向上します。「どうやったら学生がおもしろがってくれるだろうか」ということを研究することは、立派な研究なのです

研究とは問いを立て、それに答える営みである

 研究とは問いを立て、それに答える営みです。論文の構造自体も、問いに論理的に答えられるようにできています。

第1章 研究の目的:
 筆者が立てた問いが何かを明確に示します

第2章 先行研究と本研究の位置づけ:
 今回立てた問いが先行研究のどこに位置づけられるかを示し、その問いを明らかにする意義を示します

第3章 研究の対象と方法:
 研究の対象が何かを絞りこみ(人・もの・現象・資料)、問いを明らかにするための具体的な調査方法を提示します。

第4章 本論:
 調査結果を示すことをとおして、当初掲げた問いの答えを整理して示します。

第5章 まとめと今後の展望:
 問いの答えが最終的に何であったかを示します。また、今回明らかにできなかったさらなる問いを示します。

 ですから、研究は良質な問いを立てること、これに尽きるわけです。大学院を受験するときに提出する研究計画では、問いを立てる能力を見られていると考えて間違いありません。ただ、そこで難しいのが「良質な問いとは何か」ということです。その必要十分条件を示すだけの力は私にはありませんが、いくつか考えられることを列挙しておきましょう。

①おもしろそうなこと:
 周囲の人の好奇心がそそられ、答えを知りたくなるような問いであること。これが理想です。ただ、「おもしろそう」には主観の相違もありますので、反対につまらなそうな研究を考えたほうがよいかもしれません。もっともつまらなそうな研究は「やらなくても、結果がわかっている研究」です。工学部系の人の話のなかで、「パラメーターを変えれば、別の論文として発表できるよ」などと言うのを耳にすることがあります(もちろん、ごく一部の話だと思いますが)。しかし、そうした業績稼ぎの研究にロマンがあるでしょうか。限られた人生の時間を費やす価値があるでしょうか。意外な結果が得られる研究にぜひ挑戦していただきたいと思います

② 他の人がやっていないこと:
 研究では、すでに誰か明らかにした問いを明らかにしても価値がまったくありません。ケーキであれば、2個めのケーキに(1個めほどでないにせよ)価値がありますが、コンピュータのソフトウェアであれば、1度インストールされてしまえば、そのコンピュータが壊れないかぎり、二つめのソフトウェアに価値はないでしょう。研究はまさにソフトウェアの世界です。先行研究に目を通すという作業も、「自分がやろうとしていることをまだ誰もやっていないことを確認する」という意味合いがもっとも大きいのです。

③他の人にも役立ちそうなこと:
 研究は、当初は自己満足の営みでもよいのですが、論文という形で発表し、人に読んでもらうものである以上、社会的な営みでもあります。ですから、せっかく始めた研究が他の人(研究者であれ教育者であり)の役に立ちそうかどうかという視点は大切です。

④身の丈に合っていること:
 たまに修士論文で壮大な計画を立ててくる人がいますが、時間的にも能力的にも無理なことはやらないほうが賢明です。もちろん、大志を抱くことは大切なことなので、限られた時間や予算のなかで、今回の研究ではどこまでできるかというように、問いを分割していく必要が出てきます。問いにはサイズというものがあります。できもしない目標を掲げるのは避けたほうがよいでしょう。

投稿で不採用になるのは恥ずかしいことではない

 以下の文章は、某学会誌の編集後記に書いた文章で、「不採用通知の効用」を説いたものです。私も積極的に発信するようになって、「あっ、間違えてる」「げっ、ウソ書いちゃった」という失敗をしばしばするようになりました。もちろん誤謬は読者に迷惑をかけることになりますので、できるかぎり減らすようには努力しているのですが、基本的には、間違いに気づいたら「ごめんなさい」と言って修正すればよいと思っています。人間は間違えて成長する生き物です。

◇学会誌に論文を投稿すると、郵便ポストが気になりだします。結果がいつ届くか、査読の判定がどうか、気になってしようがありません。ある日ポストを開けてみると、日本語教育学会から届いた一通の薄い茶封筒。イヤな予感がします。開けてみると、「不採用」の文字。一生懸命書いた原稿をボツにするなんて、ひどい。破り捨てたくなります。しかし、待ってください。不採用通知にはさまざまな効用があるのです。

◇一つめ。悔しという気持ちが次の研究活動へのバネになります。目につくところに不採用通知を飾っておくのもよいでしょう。見るたびに闘志が湧き、リベンジしてやるという思いが次の投稿につながります。研究には気力が必要です。

◇二つめ。不採用通知のコメントが研究改善の手がかりになります。それぞれの分野の専門家が、投稿された論文と真剣に格闘して、その論文のどこがダメでどこを直せばよくなるのか、丁寧にアドバイスしてくれている貴重な紙なのです(しかも、タダ!)。頭から血の気が引いたころに見なおしてみると、きっと新たな発見があるはずです。

◇三つめ。研究仲間との同士的なつながりが深まります。大学院生の場合、友人に愚痴るのもよいでしょう。それをきっかけに、仲間内でそのコメントをめぐって勉強会を開催すれば、どんな論文講座よりもご利益があるはずです。また、身近な先生に見せ、あらためて指導をあおぐのもよいでしょう。じつは、偉い先生でも意外と不採用の通知を手にしているものです。不採用の通知をもらうこと自体は恥ずかしいことではありません。不採用になることを恐れて投稿しないことが恥ずかしいことなのです。

◇このコメントはもう私には必要がなくなった。そう明るく思える日が来るときまで、不採用通知は捨てずにとっておかれることをお勧めします。

研究の3段階

 研究と一口に言っても、以下の①~③の三つの段階があります。自分のやろうとしていることが、そのどの段階にあることなのか、まず考えてみる必要があります。

①対象を記述する:
 基礎研究(記述研究)→新しい事実・法則を「発見」する
 実験をする(化学・生理学など)。観察をする(天文学・生態学など)。資料を収集する(文献学・歴史学など)。

②対象にかんする記述をもとに論を立てる:
 基礎研究(理論研究)→見えない構造を「可視化」する
 数式や表・グラフで説明する(物理学、経済学など)。モデルを作る(社会学、心理学など)。ことばで論理的に説明する(法学、言語学など)。

③立てた論を現実世界に応用する:
 応用研究(医学・心理学では「臨床」と呼ばれる)→成果を社会に「適用」する
 現実世界に役に立たなければ意味がない(工学、看護学など)。学際的な性格を性格を持つことが特徴。

 医学や社会福祉の分野、そして日本語教育の分野でも、理論家と実践家の対立がしばしば起こります。その背景には、②と③の対立があることが多いようです。互いの立場を尊重できればよいのですが、同じ分野にある場合ほど、立場の違いが鮮明になり、対立が深まってしまうのは残念なことです。

研究に必要な五つの条件

 以下に述べることは、どの学術分野にも当てはまることです。すべての条件を満たすことはできませんが、できるだけ多くの条件を満たすように心がけると、論文としての質を高めることにつながります。

①客観性:
 研究は誰がやっても同じ結果にならなければなりません。つまり、追試可能でなければならず、そうしたことが方法の面で保証されていなければなりません。単なる思いつき、思い込みは、そのまま論文にはなりません。第三者に読んでもらって、納得してもらえるようなものにする必要があります。

②技術性:
 研究はある特殊な能力を備えている人しか理解できないものであってはなりません。つまり、ある一定の手続きを経た者なら誰でも同じ理解に達するものでなければなりません。そこから記述に際しての言語・文法の統一、用語の定義が求められます。芸術を理屈だけで伝えることはできませんが、論文は理屈だけで伝えることができます。それは、論文作成に技術性があるということにほかなりません。

③体系性:
 研究は行き当たりばったりではいけません。つまり体系だっていなければなりません。自分の研究が研究分野全体のどこに位置づけられているかが明確でなければなりません。その研究テーマ自体は新しいものであるが、それだけやれば終わりで発展性、将来性がないということであれば、そのテーマはやる価値がないものになります。いわゆる「タコツボ」にハマらないように気をつけてください。

④独創性:
 研究はすでに誰かがやっていることであってはなりません。つまり独創的でなければならないということです。そのため、学問をする際には必ず研究史を踏まえ、それを越える必要があります。言い換えるなら、自分なりの発見がなければ論文(というより文章)が書けないということです

⑤実用性:
 とくに応用研究においては、その研究が当該の分野で直接役に立つものでなければなりません。役に立つためには、理論研究と別のプレゼンテーションの方法が考えられなければなりません。また、役に立つ範囲は狭いよりも広いほうがよいわけで、使用頻度の低いものを研究しても意味が薄いと考えられます。

「書けることを書く」のが論文である

 大学院生の論文を見ていると、書きたいことを書いている人がいます。自然科学系の人にとっては信じられないことかもしれませんが、人文・社会科学系の場合、書き手の裁量が大きいので、ある程度までは自分の考えたことを書くことが認められています。

 しかし、思いつきや思いこみを書くことは認められていません。「書きたいことを書く」のではなく、「書けることを書く」のが論文です。

 主張すべきことを書く場合には、かならず事実や分析結果による裏づけが必要です。事実や分析結果によって裏が取れることだけを書くと、書けることが限られます。一つの主張を述べるのに、かなりの紙幅と労力を使います。しかし、それでよいのです。事実や分析結果に裏打ちされたことだけを抑制的に書くのが論文のあるべき姿です。

 その意味で、論文を書くというのはしばしば息苦しさが伴います。かなりおもしろい発想なのだけれど、裏を取るのが難しいことは世のなかに発表できないのです。ですから、裏の取りにくい独創的な内容を研究者が書くときには、大学の紀要や著作(本)という形を取ることが多いようです。また、論文の持つそうした閉塞感を打ち破るために、学会誌で「研究ノート」というジャンルを認める分野が増えてきています。

研究は説得の物語である

 研究論文を、機械的で無味乾燥な文章だと思っている人がときどきいますが、それは誤りです。 研究論文は、厳しい査読者に納得してもらうための創作、すなわち「説得の物語」です。

 創作と言っても、絵空事を書くわけにはいかず、事実に基づいたことしか書けません。だからといって、決まりきったことを決まりきったように書けばすむというわけでもないのです。執筆者は、読者をどのように納得させるか、得られたデータを使ってストーリーを組み立てる必要があります。
 舌の肥えたお客に「うまい!」と言ってもらうために、細心の注意を払って素材の良さを引きだすシェフのように、研究者もまた、目の肥えた査読者に「なるほど!」と言ってもらえるように、細心の注意を払って素材の良さを引きだすことに全力を傾けます。

 そのため、どのような手順で査読者にうんと言わせるのか、十分な構想を練る必要があります。そうしてできあがった研究論文は一つの芸術作品であり、一つ一つの要素が必然的に結びつく、精巧な構造を備えています。